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上本達之二軍打撃コーチの指導とヒクソン・グレイシー。

2021/08/22

何日かに分けて書きました。
日にちの違いと書くときのテンションの違いが、ですます調からだである調への文章内での変化に出ています。出すなそんなもん。ご了承ください。



今のところ苦しい状況が続く今季のライオンズ。

数少ない光明は若手野手の奮闘。特に去年の時点では厳しいかな、と感じた呉と愛斗がここまで頑張るとは予想してませんでした。特に愛斗はCS争いの最終直接対決で見せた三振が酷かったので、ちょっともう...と個人的に考えてました。

間違いなく当人の努力が一番の理由ですが、もともと二軍スタート。今季から二軍打撃コーチが新任だったことを考えると、二軍での指導が功を奏したというのも大きな要素。...という論法は、ファンの贔屓目が過ぎるでしょうか。


贔屓目云々はさておき、やはり新体制の二軍スタートから上がってきた二人が活躍となれば、その指導法が取材対象になるのは自然な流れ。ということで、週刊ベースボールONLINEにて掲載されたのが「西武・呉念庭、愛斗“覚醒”の秘密。上本二軍コーチの選手を正しい道へ導く指導法とは?」という記事。なんと前後編にわたっています。

前編 / 後編
(週刊ベースボールONLINE)

最初「上本二軍コーチを正しい道へ導く」に空目して「まあ昔ちょっとあったし…」と先走ってしまいましたが。あの件はオリンピック開会式ディレクターやってたら解任案件だったんでしょうかね。

話を戻して、流石は天下・老舗の週べ記事ということで、しっかり関係者への取材・を重ねたことがわかる内容。SNS発信の情報で大した調査も理解もしようとしなかった誰かに見習ってほしい

題名で予想できるとおり、導入した指導法や実行した工夫とそれによる効果を挙げて上本達之氏のコーチとしての手腕を好意的に紹介した内容です。上本コーチの話が中心ですが、相方の高山久コーチを始め、ほかの二軍コーチ陣との協力や意見交換についても触れられていて、新体制のライオンズ二軍での野手育成は良い感じ、という記事。上本コーチファンとしてはもちろんニヤニヤしながら数回読み返しました。


以降、素人による勝手な感想です。素っ頓狂な捉え方、今更そんな当たり前のこと偉そうに書いて恥ずかしくないですか、とお思いの場合はなにとぞご容赦を。素人の戯言ですので。

対戦相手どうこうよりまずは自分の打撃というものを確立させる、自分のスイングの精度を、力強さを上げていくことにとことん注力した育成をしているんだなあ、と感じました。

打つべきボールは必ず通るベース上、まずはそこを振るようにする。そしてそのスイングの精度を上げる。投手が誰であろうと、どんな球種であろうと、ベース上でしっかり最高の形で振れれば打てる。だから、とにかくそれに全力を注ぐ。己のひと振りに、魂を込める作業。

この考え方、上本・高山久という現役時代を主に代打屋で過ごした2名ならではだなあと思いました。

代打というのは、その時誰が相手かもわからない。その日の相手の調子がどういった具合かもわからない。もしかしたら初めての相手で、球種はわかってもどんな変化をするかわからない。予行練習の無い中で、出番が来る。言い訳は許されない。打つことが使命だから、打たなければいけない。

そんな状況で結果を出し続けるためにできるのは、己のひと振りを研ぎ澄ますこと。それしか方法が無かった、ともいえるかもしれない。相手は問わない。好球必打。いや、好球すら望めない中でも打つために。


この記事を読んでいて、最近読み終えた一冊の本を、そしてひとりの男が思い浮かんだ。


近藤隆夫・著 / 集英社インターナショナル

400戦無敗の男、ヒクソン・グレイシー。

30代中盤より下、自分より若い方々には正直ご存知の方は少ないかもしれない。一方、自分以上の年代でプロレス・格闘技のファンだった方なら、誰もが知ると言って良い柔術家。

MMA創成期に最強の名を冠していた男。「PRIDE」という伝説的イベントの産声をあげさせた男。「400戦無敗」というあまりにもプロレス的な肩書を持ちながら、プロレスの幻想に終止符を打たせたバーリ・トゥード戦士。

当時プロレスファンに筆舌に尽くしがたい衝撃をもたらした「ヒクソン・グレイシーvs高田延彦」を軸として、世紀の一戦実現まで、そしてその後日談を、業界第一線で行ってきた自身の取材をもとに記したノンフィクション。

この本は、プロレスラー高田延彦よりもヒクソン・グレイシーを中心とする形で構成されている。当時あまりにも情報が少なかったヒクソン。その謎めいた感じが神秘的な魅力を身にまとわせた。だからこそ「400戦無敗」という正直荒唐無稽な肩書にも、真実味を帯びさせた感もある。そんなヒクソンの当時の様子を、自身の取材力で描く。この筆者にしか書けない作品ともいえる。

そのヒクソン、鍛錬、試合の心構えにおける思想のベースは一貫している。己が強くあること。その1点。相手の映像は、風貌などを確認するためにしか見ない。戦法は分析しない。対策しない。ただひたすら自身を磨き、いつ何時でも最善を尽くせる精神力をつくる。

この記事とほぼ同時期に読んだからというのも多分にあるが、なによりも己を研ぎ澄ます姿に、どうしても重ねてしまう。


上本達之のファンである理由。

そのひと振りに信念、魂、そんなものを感じたからだ。

もちろん、他の選手にそれが無いとは思わない。それぞれが信念を持って振っているだろう。ただ自分のような素人には、試合を通じての打撃をするスタメンの選手たちよりも、代打で1試合にそのひと振りをするかしないかの上本の姿から、より強く感じられた。そもそもひと振りできるかどうかなのだから、おのずとすべてのスイングがそういうものになる。観るスイングすべてがそれだから、強く感じられたのは当然ではあったのだけど。

現役最後の春季キャンプを観に行った。

東京に戻る日、最後の最後に上本達之が室内で打ち込む姿を見た。





マシンから放たれる速球。いったいだれをイメージしているのだろう。どの球団の、どの守護神だろう。そんなふうに眺めていた。

もしかしたら、イメージする相手などいなかったのではないか。

ただただ、打てる球がを通るその場所を確実に一閃する。それだけを考えていたのではなかろうか。ただただ、圧倒されながら眺めていたのを覚えている。魂を込めるための作業だったならば、当時の感覚にも合点がいく。


あの姿を見せた人間からの伝承ならば、きっとこれからも渾身のひと振りをみせる若獅子達が次々と一軍で躍動するだろう。それが常勝ライオンズの基盤として、伝統として確立されていくことを、願ってやまない。

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